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「マジか……」
康介がつぶやくと、
「失敗したね……」
隣のまゆみも、それを見て言った。二人の視線の先には、一枚の貼り紙があった。丁寧にポリ袋でくるまれたコピー用紙が、柵にくくりつけられている。で、そこには……
本日休園します
――と、書かれていた。
ここはとあるテーマパーク。康介とまゆみは、ようやく休みが重なったので、テーマパークへと遊びにきたのだが……。
呆然とする二人を、激しい雨と風が打ちつける。すでに靴どころかスボンもびしょびしょだ。
もちろん二人も、今日台風が首都圏を直撃することは知っていた。しかも、「九六〇ヘクトパスカルの大型台風」であることも。けれども、
「台風なら、空いててラッキー」
くらいにしか思っていなかった。いくつかアトラクションの休止はあったとしても、屋内のアトラクションも多いし、休演するハズがないと思い込んでいたのだ。言われてみれば、駅前も異常なくらい人影が少なかったのだけど、それを見ても、
「この様子なら、いつも以上に遊べる」
と話していたくらいだった。
テーマパークのホームページくらい、出かける前にチェックしてくればこんなことにはならなかったのに――と思っても、あとの祭り。あるのは「休園で入れない」という事実と、まるまる空いてしまった時間だけである。
「――どうする?」
康介は、まゆみに聞いた。
「どうするって言われても……」
まゆみは、視線を貼り紙から康介に向けようとして――なにかが目に入った。
そのテーマパークには、いくつかの入園ゲートが並んでいる。まゆみと康介がいるのは、駅から続くペデストリアンデッキに一番近いゲートだ。そこで二人は貼り紙を発見したのだが、いくつか離れたゲートのところに、なにかがある。
「康介、あそこになにかある」
「え?」
まゆみの指差した先には、白い袋のようになものがあった。が、二人の位置からはハッキリと見えないものの、そこにあるべきものではないことは理解できた。
「あれ、なんだろう?」
言うより早いか、まゆみは駆け出した。
「え、ちょっと!」
あわてて、傘を飛ばされないようにしながら、康介はまゆみのあとを追いかけた。
――さっきいたところから五つ離れた入園ゲートにあったのは、白い大きなビニール袋だった。両手で抱えないといけないくらいの大きさのビニール袋が、入園ゲートにくくりつけてある。何重にも袋を重ねてあって、中身はハッキリとは見えない。
「なにかしらね、これ」
そう言いながら、まゆみは袋に手を伸ばした。――数回ソレをつついたあと、まゆみは康介に顔を向けた。「ぬいぐるみが入ってる!」
「ぬいぐるみ!?」
そう言って康介も袋に手を伸ばしてみる。――確かに、ビニール袋の向こうに、ふわふわとしたぬいぐるみの感触がある。
テーマパークだから、ぬいぐるみがあるのはおかしくない。
にしても。
こんなところにビニール袋に入ったぬいぐるみを置くなんて演出は考えられない。今日は休園なのだから、「中で買ったものを落とした」って可能性もない。そもそも、何重にもビニール袋でくるんでいるっていうことは、明らかに台風の雨対策なんだろう。それはいいとしても、なんでぬいぐるみをゲートにくくりつける必要がある?
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりで――まゆみと康介は、顔を見合わせた。
5 凛・2004
聞いてみると、話は簡単だった。律子とノリちゃん――規夫が最初に付き合っていた。付き合っていたわけだから、二人で出かけることの方が多かったが、洋子も加えた三人で会うこともしばしばだったという。仲の良い姉妹ならば、それも納得できる話だ。ところが、しばらくすると、規夫は洋子に乗り換えてしまった。
律子と典夫が付き合っていたときも、三人で会うこともあったから、洋子はそれまでと同じように、律子を誘って三人で出かけようと誘うことがあったのだと言う。
洋子にとっては自然なことでも、律子にとってそれは耐え難いことだった。そんなこともあって、意識的に二人を避けていたのところに、ボクが現れた。洋子に心を奪われていたボクの様子を見て、洋子にボクをあてがえば、規夫も自分に戻ってくるかも……と律子は考えたらしい。
その企みが、悪あがきでしかないことは、律子もうすうす感づいていたようだったけど、それでもやらずにはおれなかったのが、女心なんだと思う。
それからしばらくして、なんとなく、ボクと律子は付き合うことになった。その後、結婚もして子供も生まれて、それなりに暮らしている。気がつけば、あれから十年以上経ってしまったことになる。洋子は、あれからいろんな男と波乱万丈な人生を送っているようで、ちょっとイロイロあったけど、あれがボクと律子の『運命的な出会い』だったんだと、思うことにしている。
――小一時間ほど走って、自宅まで戻ってくると、すっかり顔が冷たくなっていた。それなのに凛は、
「ただいまー」
と疲れた様子も見せずに、バタバタと玄関を入っていった。
「思ったより早かったのね」
浴室から、律子が顔を出した。「お風呂、沸かしておいたわよ」
出かけるときには、
「この寒いのに、もの好きねぇ」
とか、
「風邪引いて、仕事休むことになっても知らないわよ」
とか、好き勝手なことを言ってたくせに。
「あらぁ、すっかり冷えちゃったわね」
律子は、凛の頬に手を当てて言った。「寒かったでしょう」
「うん、寒かった!」
凛は元気よく言った。「でも楽しかった!」
「とりあえず、お風呂入ってあったまってきなさい」
「はーい。それでね、あたし決めた」
「なにを?」
「あたしも大人になったら、オープンカーに乗っている人と結婚する!」
凛の言葉を聞いて、ボクはぽとりと手に持っていたグローブを床に落とした。――この間まで、「パパと結婚する~」って言ってなかったか?
それを目ざとく見ていた律子が、
「……だって。フラれちゃったわねぇ~」
くすくすと笑いながら、凛と一緒に浴室へ消えていった。
Fin.
4 洋子・1992
クリスマスを二週間後に控えた表参道は、想像していた以上にキラキラしていた。平日の昼間で、薄曇りでかなり冷え込んできているというのに、狭くないはずの歩道に人があふれている。これが夜なら、ましてや一週間後、二週間後ならどんな状態になってしまうんだろうと思うと、ボクはちょっとげんなりした。
邪魔にならなそうなところにカプチーノを止めると、ボクは素早くクルマから降りた。洋子がドアの開け方に戸惑っているようなので、助手席側に回り込んで、ドアを開けてあげる。
「うわあ、寒ぅい」
洋子はそう言いながら、手のひらに息を吹きかけた。「屋根開けなくて、よかったですねー」
「うん、そうだね」
ボクは肯いた。
『買い物につきあってくれない?』
そう言ったのは、律子だった。たまたまバイトの休みと重なっていたので「いいよ」と返事をしたのだが、待ち合わせ場所にいたのは、洋子の方だった。話を聞いてみると、洋子も律子と買い物に出かける約束をしていたらしい。
三人で出かけるつもりだったのかもしれないが、幸か不幸かボクのクルマは二人乗りで、律子を待っていても、乗るスペースはない。だからボクは、
「とりあえず、買い物だけ済ませてきちゃおうか?」
と提案したのだった。
走りながら、これが律子の悪巧みであると、ボクは確信していた。そりゃあ、洋子とのドライブがうれしくないと言ったらウソになるけど、こういう形でというのは、ちょっと複雑な気分だ。
それからボクと洋子は、いくつかのお店を回った。と言っても、洋子はおおよその目星をつけていたようで、あとは買うかどうか決断するだけのようだった。
「なに迷ってるの?」
ボクが聞くと、洋子はイヤリングを手に取ったまま、
「あたし、迷いだすと止まらないんですよー」
いつになく真剣な声で言った。
手にとっているのは、少し大柄なイヤリングだった。
「似合うと思うけどな、それ」
ボクは言った。そのイヤリングは、大柄だったけど派手感じはなく、洋子には似合いそうなものだった。
「そうなのかなぁ。でも、俊夫さんが言うなら……」
それでも決めかねている洋子に、ボクは言った。
「お金のことなら……少し手伝おうか?」
「いや、お金とかは大丈夫なんですけど……それより、申し訳ないです」
『申し訳ない』の意味がわからなくて、ボクは聞き返した。
「え、申し訳ないってなにが?」
「だって、りっちゃんと俊夫さん、付き合ってるんでしょ?」
は……はぁ!?
なんでここに律子の話が出てくるのかわからないし、それに、ボクと律子が付き合ってるって、なにをどう勘違いすれば、そうなるんだ?
呆然としているボクをどう勘違いしたのか、洋子は、
「それに、お金はちゃんともってきてるし、あたしとノリちゃんからのお誕生日プレゼントだから、俊夫さんに出してもらうわけにはいかないし……だから、俊夫さんは、ちゃんとりっちゃんにプレゼント買ってあげてくださいね」
それだけ言うと、手に持っていたイヤリングを包んでもらった。
帰りのクルマの中で話を聞いたところによると、こういうことだった。
律子の誕生日プレゼントを買うものをリサーチするため、「ノリちゃん」と一緒に出かけようと誘っていたのに、律子がことごとく断っていたのだという。はじめて洋子に会った日、律子と洋子がもめていたのは、そのことだったらしい。それで今日、うまく誘いだすことができたと思ったら、また律子にすっぽかされてしまった。でもとりあえず、ボクの意見を聞けば、間違いないと思って(なんせ、洋子の中では、ボクと律子が付き合っていることになっているから)、今日買ってしまうことにしたのだという。
ボクと律子が付き合っているという間違いに関しては、何度も強く否定した。でも、そのたびに洋子は、
「なにいまさら照れてるんですかー。ちゃんとわかってるんですよー」
とか、
「学校で会うと、いつもりっちゃんと俊夫さんが一緒にいるんだから、モロバレですよー」
と言って、信じてくれない。確かに、律子とボクは、一緒にいる時間は増えた、と思う。でもそれは、まったく別の理由だとは思っていないようだった。
そうして誤解が解けぬまま、洋子の家の最寄り駅まできてしまった。
カプチーノを駅前のロータリーに止めると、それには律子が待っていた。横には、いかにも体育会系なオトコが立っている。
なんだ、律子にはちゃんと彼氏が――。
そう言おうとしたら、洋子はもうドアを開けて、二人に駆け寄っていた。
「あれぇ、ノリちゃんとりっちゃん、二人そろってなにしてるの?」
洋子は、二人に……主にオトコの方を向いて、そう言った。
するとなにか?
「ノリちゃん」ってのは、あのオトコのこと!?
軽いパニック状態のまま、軽く挨拶を交わすと、洋子は買ってきた包みを律子に渡して、
「はい、あたしとノリちゃんからのお誕生日プレゼント。結局、俊夫さんに選んでもらっちゃった」
それだけ言って、「ノリちゃん」とどこかへ出かけてしまい……駅前には、ボクと律子だけが取り残されてしまった。
「あの……事情、説明してもらえるかな」
律子に向かってボクが言うと、
「いいけど……せっかくだから、走りながら話さない?」
そう言って、律子はカプチーノの助手席に乗り込んだ。「アンタの買ったの、オープンカーじゃなかったっけ?」
……説明するのもちょっと面倒なので、とりあえず三分割ルーフのうち、左右の二枚を外して、常備しているバスタオルにくるんでトランクに入れた。専用のルーフ収容袋もあるんだけど、面倒なんで手早く済ますときは、バスタオルを使っているんだ。そうしてTバールーフ状態にしてから、ボクはカプチーノを発進させた。
目ざとくパワーウィンドウのスイッチを見つけた律子は、なにも言わずに窓を全開にした。ごぉごぉと音を立てて、北風が室内に充満する。カプチーノは、フルオープン状態にするより、この状態の方が、風の巻き込みがキツい。あっというまに、狭いカプチーノは、冷蔵庫状態になってしまう。
暖房をフルパワーにしつつ、ボクは律子がしゃべりはじめるのを待った。
3 律子・1992
「あんたも結構しつこいわねぇ」
律子はあきれたように言いながら、ボクの目の前に座った。
「しつこいって、なにが?」
ボクは、読みかけの雑誌から顔をあげた。
「だからこれよ」
そう言って、律子はボクの目の前にある雑誌をつつく。それは、カプチーノの紹介雑誌だった。新車が出ると同時に発売される、速報カタログのひとつだ。ボクはここ一ヶ月、暇があるとこれを繰り返し読んでいる。次の授業が休講になってしまったので、ボクはいつものように学食で、お茶しながらカプチーノの速報雑誌を読みふけっていたのだ。
「ま、読むだけならタダだしね」
妙に納得したように言った律子の目の前に、ボクは一本のキーを差し出した。それを手に取ると、律子は「えっ」と小さく叫んだ。
「キーがあるってことは、買っちゃったのぉ!?」
大きく息をしたあと、律子は言った。「アンタ、ばか?」
それでもボクは、ニヤニヤと笑っていた。
衝撃の出会いから一ヵ月後、ボクはカプチーノを手に入れてしまったのだ。
カプチーノに出会ってからすぐ、ディーラーに行ったら、あっさり「半年待ちです」と言われてしまった。もともと生産台数が少ないのだから、それはしょうがない。その間バイトして、頭金でも貯めておけという天からの声だと思い、予約だけいれた。
それからボクは、バイトを変えた。夕方からのバイトと夜のバイトと、ふたつ掛け持ちだ。もちろん、毎日両方の仕事をするわけではないにしろ、体力に自信のないボクには堪えた。体はきつかったけど、バイト先の仲間もいい人だし、なにより「カプチーノを買う!」と思えば、それほどつらいとも思わなかった。カプチーノで洋子とドライブしたら楽しいだろうな、という気持ちがなかったといえば、ウソになる。というより、いつのまにか、そっちの方が「本命」になっていた気がする。
そして三日前、突然ディーラーから電話があった。特別な事情があって、カプチーノの中古車が手元にあるんだけど、それを買わないかというのだ。しかも、まだ一〇キロも走っていない新車同様の状態なのに、普通の中古車価格より安くしてくれるという。ボクは、その話に飛びついた。
ディーラーで話を聞いたら、納車直前に事故を起こしてしまって、本来納車する人には別の新車をあてがうことになったのだという。予約待ちの人に、その「事故車」を紹介したけど、みんなに断られて、ボクの順番になったらしい。
事故車であろうと、ちゃんと走ればボクには問題ないし、それにディーラーの人もそういうクルマを渡すのは気が引けるようで、いろいろとサービスしてくれるという。なにより、カプチーノが安く手に入るのはありがたいことだった。
「目の前にニンジンぶらさげられたら、そりゃ飛びつくでしょ」
ボクが言うと、
「イヤね、オトコって。犬だって『待て』くらい覚えるわよ」
それだけ言って、律子は黙ってしまった。
「ボクは犬以下ですか……」
小さい声で反論して、ボクはコーヒーをすすった。カップ1/3ほどになっていたコーヒーは、隙間風のせいでほとんど冷たくなっていた。
律子の沈黙が妙に怖くて、そろそろ逃げ出そうかと思ったとき、洋子があらわれた。
「ちょっとお邪魔しますねぇ~」
元気な声でそう言いながら、洋子は律子の隣に座った。「俊夫さんは、いつもの本ですか?」
「コイツね、買っちゃったのよ」
律子は、さっきボクが渡したキーを、洋子に見せた。
「ええー、すごーい」
まるで自分のことのようにうれしそうな声で、洋子は言った。「この間りっちゃんがオープンカーに乗ってたのを見て、あたしも乗りたいと思ってたところなんですよー。いいなぁ」
その場にボクがいたことを覚えてもらっていなかったことに、ちょっとショックを受けつつも、
「今度乗せてあげよっか?」
ボクがそう言うと、
「いいんですかぁ? わーい」
洋子は、ぱちぱちと手を叩いた。
こんなに喜んでくれるなんて、いい子だなぁ。「アンタ、ばか?」が第一声の律子とは大違いだ。これで普段は仲のいい姉妹なんだから、よくわからない。
――じゃあ、いつ頃がいい?
そう聞こうと思った途端、洋子がポケットベルを取り出した。
「ごめんなさい、ちょっと電話してきますね」
そう言って、洋子は学食の入口近くにある公衆電話に走っていった。
それにしても元気な子だ。洋子の元気は、こっちまで元気にしてくれるのがいい。――なんてことを考えていたら、
「ふーん、そういうことね」
冷めた目でボクを見ながら、律子は言った。「あたしがなんとかしてあげよっか?」
「なんとか……って、なに、が?」
冷静に言ったつもりだけど……ドキドキしているのが、自分でもわかる。
「決まってるじゃない。洋子のことよ」
2 俊夫・1992
その時ボクらは、オープンカーに乗っていた。後期から始まった大学の授業で、買い出しにいく必要があって、ジャンケンに負けたボクら3人と担当講師のクルマで出かけることになった。その講師のクルマがオープンカーだったのだ。一日中薄曇りで、風の強い肌寒い日だった。ちょうどそれが木枯らし一号だったと、あとから知った。
「センセ、どうして幌を閉めないッスか?」
ボクと同じく買出し組になった達郎が聞くと、
「幌が壊れちゃってさぁ。閉めたくてもしまらないんだよ」
と、その講師はあっさり言った。聞けば、お金がなくて修理できないのだという。ボクらが二十歳の貧乏学生なら、彼もまた貧乏講師なのだった。
小一時間ほどの『極寒ドライブ』の苦行を終え、構内に戻ってきたとき、一人の女の子が軽くウェーブした髪をなびかせて、ボクらに駆け寄ってきた。
「いいなぁ、オープンカー」
その声を聞いた瞬間から、ボクは身動きが取れなくなってしまった。
よく小説で「鈴が鳴るような綺麗な声」という表現がある。それまでのボクは、「鈴が鳴るような綺麗な声」がどんなものかまったく想像できなかったけど、彼女の声を聞いた途端、これこそが「鈴が鳴るような綺麗な声」なんだと直感した。
ボクは容姿にそれほどこだわる方じゃないし、性格が合うことが大事だと思っていたのだけれども、そんなものさえ、彼女の声を聞いた瞬間、吹き飛んでしまった。彼女がどんな人かまったくわからないうちに、声を聞いただけでボクは恋に落ちてしまったのだと思う。
「そんなことより、あたしたちを置いて出かけちゃうなんてぇ…」
彼女は、ボクに話しかけたてきた――というのはボクの錯覚で、彼女はどうやらボクの前に座っている律子に話しかけているようだった。彼女は律子の知り合いらしい。
律子は、この貧乏講師が担当する授業ではじめて会った。もちろんそれまでは、律子の名前も顔も知らなかったけど、律子と同じ授業になってよかったと、とっさに感じた。
「しょうがないでしょ」
そっけなく言いながら、律子はクルマを降りた。そのまま彼女を無視するかのように、クルマの後へ回って、トランクから荷物を取り出す。
「だって、ノリちゃんと出かけるって……」
彼女は律子についていく。
ボクもあわててクルマから降りて、律子の降ろした荷物を手に持った。
「だから、わたしは忙しいの」
律子は、面倒くさそうに言った。「わかる?」
荷物ボクが持っていくから――ボクがそういいかけたとき、
「さ、行こう」
律子がボクを見ていった。思い返してみれば、この時が律子とのはじめての会話だった気がする。
律子に促されるまま、彼女をそこに残して、ボクらは研究室へと急いだ。
彼女と律子はどんな関係なのか、なにを約束したのか、なんで律子はそれを破ったのか。聞きたいことは山ほどあった。けれども――まずは、名前だ。
「いまの娘は?」
階段を登りながら、ボクは聞いた。さっきはじめて会話したばかりだというのに、ずっと知り合いだったかのように会話できた自分が不思議だった。
「洋子のこと?」
律子は低い声で答えた。「あたしの妹」
「出かける約束してたみたいだけど、大丈夫なの?」
「いいのよ、本当に」
それだけ言うと、律子は歩く速度を速めた。それ以上は、聞かないほうがいいらしい。
でも情報は得た。彼女の名前は洋子ということ。そして、律子の妹だということ。いまはそれだけで充分だ。
それが、洋子との出会いだった。
――それから2週間ほどして、ボクはもうひとつの「運命的な出会い」をすることになる。
昼休みに外で食事をして、校舎に戻るときだった。信号待ちをしていたら、目の前をそのクルマが通り過ぎた。真っ赤で、小さくて、かわいい顔つきのオープンカー。視界に入っていたのはほんの一瞬だというのに、その姿が頭から離れなくなってしまった。
校舎に戻ると、クルマに詳しい友人に、あれこれ尋ねた。答えは、すぐに返ってきた。あんなオシャレにクルマは外車に違いないと思っていたら、なんと国産車だった。軽自動車なのに二人乗りでオープンカー。それが、カプチーノだった。
そのときにはもう、カプチーノを買うことに決めていた。
それまでクルマは道具で、ユーティリティ性の高いハッチバックこそがベストだと思っていたのに、非実用的なカプチーノに一目惚れしてしまった。クルマに詳しいその友人は、
「カプチーノは、丸っぽくって女の子向きだよ。ビートの方がいいんじゃない?」
と言ったが、そんな言葉などボクの耳には入らなかった。
それはあくまでも、ボクとカプチーノとの運命的な出会いなんだと、信じて疑わなかった。たとえ、洋子の言葉がきっかけだったとしても。