ものがたり歳時記【3】構成

【秋の章】
[17]台風の季節/ケンカしたカップルが台風の日に出会ったミステリー。
[18]あんずあめの季節/ドジでマヌケな新人社員に女上司は…
[19]茜空の季節/彼氏に突然告げられた別れの言葉に…
[20]玄米茶の季節/離婚した夫婦が再会した理由は…

【冬の章】
[21]北風の季節/オープンカーと北風の思い出は…
[20]黄葉の季節/勝てば残留、負ければ降格。大事な最終戦なのに…
[23]柚子湯の季節/突然現れた「母」に戸惑うわたし…
[24]夜景の季節/東京タワーで再会した二人の結論は…

夜景の季節(1)

 どこの誰かは知らないけれど、いまこの眼下に広がる夜景を「地上の星座」と例えた人は天才的な詩人だと、衿子は改めて思った。足元に広がる幾千万もの星たちが、人の呼吸と同じ速さで瞬いている。世界に冠たる大都市・TOKYO。やっぱり、この景色が好きなんだな、わたし――。
「久し振りだな」
 貢は、衿子の横に立った。「東京タワーに上るのも」
「ひょっとして、五年ぶり?」
 衿子の問いに、貢は軽く肯いた。「そういう君は?」
「実はわたし、昨日も来てたりなんかして」
 と、衿子。
「ってことは、二日連続?」
「そう。昨日は天気がよくなかったから、夜景もあんまりきれいに見えなかったけどね」
 衿子は外の景色を見たまま、答えた。
 クリスマスには賑わっていた東京タワーも、今年が残り少なくなるに連れて驚くほど静けさを増していく。まわりには、ふたりと同じようなカップル――といってもそのうち二組は、三〇年は一緒にいようかというベテランである――が数組、のんびりと足元を埋め尽くす風景を眺めているだけである。
「五年前に比べて、またずいぶんと綺麗になったな」
 肩に載せようとした貢の手をサッと避けるように、衿子は夜景に背を向けた。
「お世辞を言ったって、何も出ないわよ」
 かなわないな、とばかりに首をすくめた貢は、
「相変わらずつれないオンナだな、おまえは」
 と言って、自分もガラスに背を向ける。――初々しい中学生らしきカップルが、ふたりの前を懐かしい声を巻き上げながら通り過ぎていった。
「いかがですか、久し振りに見た東京の夜景は」
 軽い笑みを浮かべて、衿子は貢を見上げた。そういえば、この人は背が高かったんだな――そんな事に、はじめて気が付く。
「どうもこうも…」
 貢は、懐かしそうに呟いた。「ゆっくり夜景を眺めたことなんて、ないからな」
「そうだろ、そうだろ」
 衿子が、満足気に肯く。「夜景を眺める余裕なんて、なかったもんね」
「そうだな……」
 それだけ言って、貢は視線を夜景に戻した。
 ――いつの間に、こんなにダンデイーな表情をするようになったんだろう。
 物憂げな貢の横顔に、衿子は新鮮な驚きを覚えた。
 もっと子供のように無邪気な表情をしている人だった。少なくとも、出会った頃は。好きだった貢も、もうすでに過去の人なんだ――そう思うと、衿子は一抹の寂しさを感じた。

柚子湯の季節(1)

 ピピピピピ。ピピピピピ。
 甲高い着信音に気付いたのは、しばらくたってからだった。――普通の着信音ってことは、アドレス帳に登録していない人からの電話か。出なきゃいけないと思っても、体が動かない。そもそもわたしは、目覚めのいい方じゃない。
 そうこうするうちに、着信音が止まった。のそのそと布団から手を出して、目覚まし時計を手に取る。午前八時。――午前八時!?
 ようやくベッドに入ったのが今朝の五時だから、まだ三時間しか寝てないことになる。
 誰だこんな『早朝』に電話をかけてきたヤローは。
 携帯電話を手に取ろうとして、テーブルの上に目をやって、はっとする。テーブルの上には、いくつものビールの空き缶と、食べかけのお寿司。そうしたあれやこれやの中に、携帯電話が埋もれていた。
 昨日が、父の葬式だった。末期のガンと診断されて、入院して一ヶ月もしないうちに逝ってしまった。とはいっても、この十年アルコール中毒で、苦労ばっかりさせられていただけに、ほっとしたという気持ちの方が強い。
 葬儀の後、参列者にふるまったお寿司の残りをつまみながら、これからの事務手続きをチェックしていた。正直、ろくでもない父親だったけれども、あれやこれや手続きしないといけないということは、それだけ生きていた証があるわけで……なんて思っていたのは最初のうち。あまりに一人で片付けなきゃいけないことが多くて、うんざりしてしまった。
 あれこれ手続きしなきゃいけないということは、夜型のわたしが昼間にやらなきゃいけない仕事が増えるということだ。これ、嫌がらせでしょ、絶対。
 テーブルの上のゴミをさっと片付けて、わたしは携帯を探し出し、画面を確認した。留守番サービスに伝言は入ってないようだ。とすると、間違い電話かイタズラか。なんにせよ、貴重な睡眠時間を奪われたことが腹立たしい。
 今日から仕事に戻るつもりだから、もう一眠りしたほうがいい気もするけど、すっかり目が覚めてしまった気もするし、難しいなぁ……と考えていたころで、また電話が鳴った。素早く電話番号を確認する。さっきと同じ番号だ。わたしはキーを押して、電話に出た。
「もしも……」
『あー、ようやく出たわ。もしもし私。っていってもわかんないかなぁ。私よ』
 わたしがなにか言うより早く、相手がまくし立てた。そこそこ年のいった、女性の声だった。とはいえ、『私』と言われても、さっぱり声に聞き覚えがない。
「あの、どうも、おはようございます……」
 念のため、お仕事モードの声で、様子を探る。男性の声を聞き分けるのは得意中の得意だが、女性の声は自信がない。
『だから、あなたの母親の淑子よ』
「は……はぁ!?」
 その一言で、わたしは完全に目が覚めた。
 わたしの母親は、かれこれ一五年前に家を出ていった。外に若い男を作って、家出してしまったのだ。それ以来、音沙汰なしである。わたしが高校に入って、家計を助けるためにアルバイトをはじめたら、今度は父親が働かなくなって、死ぬほど苦労した時期にはまったく連絡もよこさず、父親の葬儀の翌日に電話をかけてくるなんて!
『そういや、昨日が幸さんのお葬式だったんだってね。連絡があれば、最後くらい顔を見にいけたんだけどねぇ。最後まですずには苦労かけただろうねぇ』
 しみじみ、電話の向こうの母は言った。
「なにぶん急なことだったもので、ご連絡もできずに失礼しました」
 そう言ったものの、わたしは連絡をするつもりはなかったし、そもそも連絡先すら知らない。それ以前に、なんで母は、わたしの電話番号を知っているんだろう?
『ところでさぁ』
 電話の向こうの母は、妙な猫撫でで言った。『幸さん、あなたと一緒に住んでたんだって? ということは部屋がひとつ空いたってことよね。私と一緒に暮らさない?』
「一緒に暮らすって……ここで!?」
 唐突な展開についていけず、なんて言って断ろうかと思っているウチに、
『住所は聞いてるから、今夜にでもいくわ。それじゃあね』
 それだけ言うと、母は電話を切ってしまった。
 わけのわからない展開に、わたしはしばらく呆然としていた。

夜景の季節(2)

 五年前の東京タワーは、雨だった。にもかかわらず、展望台の中は人、人、人であふれていた。降っている雨が、ひょっとしたら雪に変わってホワイトクリスマスを演出できるかもしれない――そんな浅はかな考えの人々が集まっているようだった。
 並々ならぬ人いきれに、衿子は少々戸惑いを覚えながらも、心の片隅では賑やかさで悲しみが紛れるかもしれないという、淡い期待を抱いていた。もちろん、そのつもりで貢がこの場所を指定したのでないことは、百も承知だ。どちらかと言えば、貢は「浅はかな考えの人々」の部類だろう。いつもなら衿子を落胆させる貢のミーハー趣味が、今日ばかりは幸いするなんて、なんとも皮肉なものである。
 冬だというのに簡易サウナの様相を呈していたエレベーターから吐き出されて約二〇後、
衿子はようやく貢の姿を見付けた。――以前なら、もっと簡単にこの人を捜し出せたはずだな……。そう思った瞬間に、自分がかなり疲れているのを実感した。
 貢に初めて会ったのは、大学に入学して四日目のことだった。仰々しい行事が一段落し、
クラブや同好会が本格的に部員勧誘に精を出し始めた頃、
「ねぇねぇ、ちょっとアナウンサーしてみない?」
 と声をかけてきたのが、貢だった。
 やけに調子のいい先輩だな――という第一印象を持ったわずか一〇分後、衿子は予想外の言葉に遭遇する。
「新入生のくせして、もう一人会員を勧誘してきやがった」
 やけに調子のいい先輩――それが衿子と同じ新入生だったことに呆れるやら驚くやらで、気付いたときには、あろうことかその放送同好会の会員になっていた。
 その半年後。その時もまた、二人は東京タワーに上っていた。
「明りの数だけ人の営みがあるなんて言うけど、それってウソだよね」
 衿子は、本当に何気なく、そう言った。「ほとんどの明りは、企業の明りなんだもん」「だったら…」
 貢は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて言った。「この中に、俺たちで人の営みの明りを増やしてみない?」
 ――その言葉に肯いて、二人が同棲を始めたことに一番驚いたのは、同級生でもなく同好会の仲間でもなく二人の両親でもなく、当事者である貢と衿子であった。
「案ずるより生むが易し」という格言通りに、二人の生活は順調だった。だが三年経って、
無事就職も内定し、大学の講義も減り、一緒にいる時間が長くなると、どうでもいいささいことが、どうしようもなく気になるようになっていた。
「――雨、だな」
 貢の頬には、少し赤みがさしている。どうやら、どこかのクリスマスパーティーの帰りらしい。
「そうね」
 手摺に肘を付いた衿子の肩から、ポーチが滑り落ちた。衿子の方は、来年から就職する放送局の夕食会に招かれていた。放送局の人達が「これから忘年会に流れるので同席しないか」と誘ったが、それを衿子は丁重に断った。
「ひとつ、賭けをしてみないか」
 外を見たまま、貢は言った。今日はひどく視界が悪い。一年ぶりのクリスマスで華やかであろうはずの東京が、雨の向こうに煙っている。
「なにを?」
「奇跡が起きないかどうか」
 冗談を言ってる場合じゃないでしょ、という言葉が喉まで出かかったが、どうやら貢は本気で言ってるらしい事に気付き、衿子は口をつぐんだ。
「もし、この雨が雪に変わったら結婚しよう。もし、雨のままなら、その時は別れる……どうだ?」
「奇跡でも起きない限り、二人で生活してはいけない、ってことね」
 衿子の言葉を肯定するように、貢は夜景に吸い込まれていく雨を、じっと見つめていた。

 ――その日、東京には一晩中、雨が降り続いた。

柚子湯の季節(2)

「それにしても、アンタは不幸を吸い寄せるオンナよねぇ」
 のんきな顔で、向かいに座った真琴は言った。
「ホント。お祓いにでも行ったほうがいいかしらね」
 言いながら、あたしはため息。喫茶店の中もすっかりクリスマス一色で、そんな華やかな演出が、かえってわたしを落ち込ませた。
 母がわたしの家に来たは、電話のあった翌日だった。
 明け方の四時に帰宅すると、自宅の前で誰かが毛布に包まって眠り込んでいた。ご丁寧にドアに寄りかかって寝ていたから、そのまま無視して部屋に入るわけにもいかず、彼女を無理矢理起こしてみると、
「遅いわねぇ。何時間またせるのよ」
 と、いきなり怒られてしまった。その声で、前の日に電話をかけて来た「わたしの母を名乗る人」であることに気付いた。
 しょうがなく自宅に上げ、わたしがなにか聞くより早く、昔の写真だの保険証だのを見せ、自分が母であることを説明しはじめた。そんなことよりわたしは一刻も早く布団に入りたくて、
「詳しいことはそのうちに時間を取って聞きます。それまではいていいから」
 そう言うとわたしは、さっさと風呂に入ってしまった。風呂から上がると母は、リビングで寝入っていたのだった。
「そのうちに時間を取って」と言ったものの、それからの数日はじっくり話を聞くほどの時間もなかった。わたしはホステスで夜の仕事。昼に起きて、明け方に帰ってくる毎日。一方母は、近所の小学校で給食のおばちゃんをやっているらしく、朝起きて夜寝る普通の生活をしている。これでは、顔を合わせることもできない。
 けれど、何日も居座られても困るし、今日は仕事を休んで、母が帰るのを待って、きちんと話をして、出て行ってもらうつもりなのだ。
「ま、なんとかなるから、がんばってね」
 真琴はそういうと、伝票を手に立ち上がった。「今日のケーキは、おごったげるから」
 年齢でいうと真琴は、わたしより2つ年下のはずだけれども、二人でいるときは、どっちが年上でどっちが年下だかわからない。
 とりあえず今日のところは、いかに母を追い出すかに集中しよう。
 一応、ホンモノの母だとは思う。でも、十五年も前に勝手に出て行った人だ。そのあとのわたしの苦労を考えれば、部屋を貸してあげる義理もないはずだ。
 そもそも、父がいた部屋は、リフォームしたあと真琴に入ってもらうつもりだったのだ。それなのに、勝手に居座られても困る。
 よし、その線で説得しよう――と心を決めたとき、ちょうど自宅についた。
 エレベーターを降りて、部屋の前までくる。鍵を開けると――部屋の中に、男がいた。
 母がいるのならわかるが、コイツは誰だ!?
 ストーカーっぽいヤツに付回された経験はあるけれど、部屋にまで侵入された経験はさすがにない。とっさに傘立てからできるだけ頑丈そうな傘を取ると、
「アンタ誰? 警察呼ぶわよ!」
 わたしは叫んだ。
 リビングでのんびり雑誌を読んでいたその男は、
「アンタがすずちゃん? 淑子から話は聞いてるぜ」
 動揺するでもなく、男は言った。
 ということは……母の知り合い?
 見た目は、わたしと同じ二十四か五くらい。だとすると、母の連れ子?
「ここはわたしの家よ。出て行ってくれる?」
「広い家なんだからさ、堅いこと言うなよ」
 そう言うと男は、また雑誌に目を落とした。どうやら、出て行く気はないらしい。
 それなら、警察に連絡した方がいい。そう思ったわたしは、近くの交番へ行こうと思った。その時、
「ただいまー。あら、すずちゃん帰ってたの。今日は早いのねぇ」
 玄関が開いて、母が帰ってきた。手には、買い物袋を提げている。
「それどころじゃないわよ。あの男、誰よ」
 わたしが母に詰め寄ると、
「あらまだ紹介してなかったわね」
 平然とした顔で、母は言った。「亮ちゃん。私の彼」
 わたしと同じ年くらいのあの男が、五十に手が届こうとしている母の彼氏!?
「ちょっと、ふざけないでよ。あなたがここにいることすら、迷惑だっていうのに、男まで一緒に面倒見る気はありませんからね。出ていって。いますぐ出ていって!」
 わたしが叫ぶと、
「面倒見てもらう気はないの。ただ、ちょっと部屋を貸してもらうだけで。広いんだから、いまさら一人増えても問題ないでしょ? それに一人よりみんなの方が楽しいし」
 母はしれっと言った。
 この面の皮の厚い連中を追い出すには、どうしたらいいんだろうと悩んでいるわたしをよそに、
「さて、ごはんにしましょうね。今日の晩御飯は麻婆豆腐よ」
 と、母は晩御飯の仕度をはじめ、
「おう、早くしてくれよ。朝からなにも食ってねーんだ」
 亮とかいう男は、夫かのように言い放つ。
 ここは、わたしの家なのに……!
 わたしが亮を睨んでやると、亮はにやりと笑った。