Avenue.3-5

 審査会場に入ると、硝たちはゼッケンの番号順に並ぶよう指示された。立ち位置を示すバミリ――テープの目印もなく、参加者たちは戸惑いながらも、なんとなく番号順に並んでいく。
 大きめの会議室から、机と椅子を片付けただけのようで、ここに全員入るのかと、硝は少し心配になった。いや、立っているだけなら十分入るだろうけど、五十人でダンスをするには、かなり無理のあるサイズだ。
 会場の正面には、長机に数人の大人が座っている。どうやら、彼らが審査員のようだった。
「会場はステージだと思いなさい。部屋に入った瞬間から、審査ははじまってるんだからね」
 と、硝は玖理子に教えてもらった。確かに、以前に受けたオーディションでは、審査会場が張り詰めた空気だったのを覚えている。けれど、今日のこの会場は、どこかのんびりとしていて……とても「誰かが選ばれて、誰かが落ちる戦場」には思えなかった。
「では、一曲目スタートします」
 スタッフが言うと同時に、曲が流れはじめた。と同時に、会場内のざわめきも静まっていく。
 ふわふわした雰囲気ではじまったオーディションだが、ステップを踏むごとに、硝も落ち着いていくのを感じた。
 一曲目は、このグループのアンセムとも言える、軽快な曲だった。合格したら、何百回・何千回と踊ることになる。これができていないと、グループの一員にはできない――ということなのだたろうと、硝は理解していた。
 このオーディションはかなり特殊で、まずダンス審査があって、その合格者が午後の面接審査に進むというスタイルだった。正直、歌はどうにでもなる。ヘタならマイクの電源を切っておけばいいだけだ。でも、ダンスだけはどうしようもない。
 つまり、まずダンスを見るということは、即戦力を探しているという意味になる。玖理子の気合が入るのも当然の話だった。同じアイドル志望として、硝も気合を入れなければいけないところだったが……どこか集中できないでいる。
 練習時間が少なかった割には、ダンスの振り付けも、すんなり覚えられたし、いまも間違えずに踊れている。参加者の顔ぶれを見ても有力な子はいないし、自分にもチャンスがあるとわかってはいるけど……硝はなぜか、気分が高まってこない。
 もやもやした気持ちのまま、曲が間奏に入った。そこで硝は、ようやく違和感の原因に気づいた。
<MIXがないからだ……>
 MIXというのは、曲の前奏や間奏で、ファンが入れるコールのことだ。ペッパー&ミントのライブでも、MIXを入れてくれるお客さんがいる。固定ファンというよりは、冷やかし程度だと思うけれども、ライブを重ねる度に、MIXの声が大きくなっているのは、実感していた。
<MIX……っていうか、お客さんって、大事なんだなぁ>
 ――そんなことを思いながら踊っていると、右肩に「ゴン!」という衝撃があった。隣の子が左腕を振り上げた拍子に、ぶつかったのだ。踊っている最中は、手がぶつかったり足を踏まれたりということは、よくあることだ。
 硝も普段は気にしないのだが、思ったより強く当たったので、ちらっと隣を見てみると――隣の子は、曲調を無視して、激しくダンスしていた。
 確かに、激しいダンスがウリの子もいる。たまたま隣がそういう子だったんだろう。
 会場が狭いから、多少はぶつかったりすることも予想はしていたけど、もう少し間隔を空けた方がいいかも……と思ったとき、その子と目が合った。
「ぶつかってゴメン」という目ではなく、明らかに硝をニラんでいた。
 そのまなざしを見て、硝は思い出した。
 この視線だ。これが、キッカケだったんだ――。
 硝は、小さい頃から「かわいい」と言われ続けていた。が、硝自身は、「背が低いことをバカにしているんだ」とばっかり思っていた。背の順で並べば、いままで先頭以外になったことがないし、高校生になったいまでも、一五〇センチに届いていない。
 どうやらそれが違うようだと気づいたのは、ここ数年のことだ。
 ある日、クラスメイトの女子にニラまれて、
「かわいいっていっても、アイドルになるほどじゃないわよね」
 と言われたのだ。
 その時硝は、ようやく気づいた。「かわいい」は「背が低いことをバカにしている」わけではないことに。そして、「そこまで言うなら、アイドルになってやる」と決めたのだった。
 そんなこともあったなぁ……なんて、ぼんやり思っていたら、ターンをしようとしたところで、右足になにかがひっかかった。
 あっと声を出す間もなく、硝は床に倒れこむ。
 顔を上げると、隣の子はそ知らぬふりをして踊り続けていて……これはわざとだな、と硝は確信した。だからといって、この場でケンカするわけにもいかず――。
 あきらめて立ち上がろうとしたそのとき、
「そこ! やる気がないなら帰れ!!」
 と、声が飛んだ。
 それを聞いて、硝の中の、なにかが切れた。
「はーい」
 硝は、手を上げて、元気よく答えた。「48番、野上硝、早退しまーす」
 何人かちらっと硝を振り返ったが、そんなことはお構いなく、踊り続ける人並みをすいすいとかき分けて、硝は会場を出て行った。

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