茜空の季節(4)

「ぐえっ」
 あたしの顔を見ると、英臣は妙な悲鳴をあげて、固まっている。
 うっすらと焼けた顔は、ところどころ赤みを帯びていて、いかにも「南の国でバカンスを楽しんできました」という感じ。あたしはいろいろと振り回されていたのに、コイツはのんきに海外旅行かと思うと、憎らしくなってきた。
「どーも。お楽しみだったご様子で」
 イヤミたっぷりに言ったのがちゃんと伝わったらしく、英臣は「えっと、あのぉ……」とごにょごにょ言っている。この期に及んで、まだなにか言い訳を考えているらしい。
 おもしろいから、もうちょっとからかってやろうと思ったその時、
「どうかしたの?」
 部屋の奥から、パジャマ姿の女が出てきた。――ははーん。これが「新しい彼女」ってわけね。
「あ、お客さんだった……」
 彼女が言いかけたところで、
「ども。元カノの、茜です」
 『元カノ』を力いっぱい強調しながら、あたしは彼女に手を振った。あたしの言葉を聞いた瞬間、
「あ、あ、あ……」
 と英臣は、ドアノブに手を置いたまま、硬直してしまった。ようやく、事態を把握できたようだ。本人は、うまく立ち回れたと思い込んでいたんだろう。別れた原因はあたしにあって、別れた直後に新しい彼女ができたとしても、なにも悪くない……と。
 そんな都合のいい言い訳、あたしは許さない。
 どこに前の彼女と別れた直後に、新しい彼女とサイパン旅行にいく手際のいいオトコがいるっていうの。それ相応の期間二股かけてて、ちょうどいい理由を見つけた途端、これ幸いと別れ話を切り出した、ズルい男じゃないのさ。
「あの、元カノって……」
 穏やかな声で言って、彼女は英臣を見た。一見すると、おとなしい印象の人だった。声からしても、たぶん誰の目からも「育ちのいい人」と思われているんだろう。でも、その目だけは違った。あれは、嫉妬の目だ。
「心配しないで。ちょっと、忘れ物を思い出したから」
 あたしが彼女に向かって言うと、彼女はニヤリと笑った……ように見えた。少なくとも、心の中ではそうだったハズだ。
 勝者の笑顔というか、女王様の顔だ。
 考えてみればデパートなんていうのは女の園で、その中に少数のオトコを放り込めば、オトコの分捕り合戦がはじまる。つまり「ワタシが勝者」だと、彼女は言いたいのだろう。そしてあたしを「敗者」として、見下している。
 ふん。こんなオトコ、取り返そうだなんて、思ってないわよ。
 でも、自分の不始末を、あたしの責任にしようとしたことだけは、きっちりとカタをつけてやんなきゃ、気が済まない。
「あの、忘れ物って、えっと……」
 おたおたと、英臣は話し出した。
 ……やっぱり。新しい彼女がこの部屋に出入りしてるってことは、あたしがこの部屋に置いてあったものは、すでに処分済みってことだ。もっとも、あたしがこの部屋に置いたままにしてあったものなんて思い出せないし、あったとしても捨てられて困るようなものはない。気に食わないのは、その根性だ。
「忘れ物っていうのは……」
 言いながら、あたしは左手で、英臣の胸元を掴む。そして、右手を振り上げた。
「ひぃ」
 英臣の悲鳴と、グキッという鈍い音。と同時に、指に走るズキズキとした痛み。
 あれ?
 平手打ちをしようとしたら、どうやらグーで殴ってしまったらしい。そういえば、何ヶ月かボクササイズに通ってたんだけど、その時のクセが出てしまったみたいだ。
「英ちゃん!」
 彼女が、英臣に駆け寄る。まぁ、お熱いこと。
「どーも、お邪魔しました」
 彼女に向かって、にこやかに言うと、あたしは英臣の部屋をあとにした。
 ロビーを出ると、目の前にきれいな夕焼けが広がっていた。空が、色濃い赤で染まっている。
<こんな夕焼けのことを、茜空って呼ぶんだよ……>
 そう教えてくれたのは、確かプラネタリウムのお兄さんだった気がする。映写ドームに映る必要以上に赤い夕焼けを見ながら、こんなに赤くなるわけないじゃん、と思ったのに、映写が終わって外に出たら、さっき見たのと同じような茜空が広がっていて、妙に感動したんだ。
 ひときわ高く見える秋の空に、あたしの空が広がっている――。
 ようやく気分が晴れた。
 あたしらしくなかったあたしを振り払って、あたしの空が戻ってきたんだ。
 そう思うとなんだかうれしくて、あたしはしばらく茜空をながめていた。

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