Avenue.3-2

「……てなこと言い出すからさぁ、こっちから断ってやったわよ」
 電話の向こうで、阪本玖理子(さかもとくりこ)はまくしたてた。が、
「へー。そんなことあったんだー」
 と、あたりさわりのない返事をして、硝は時計にちらりと目を向けた。
 深夜一時。電話がかかってきたのが、確か日付が変わった直後だから、かれこれ一時間話していることになる。といっても、しゃべっているのは九割玖理子なのだが。
 玖理子は、硝のオーディション仲間だ。硝にオーディションのイロハや、業界の裏話を教えてくれた大先輩でもある。
 硝が玖理子とはじめて会ったのは、今年一月のオーディションだった。高校進学の目途が立ち、「中学卒業の記念に」と両親を説得して、某大手グループのオーディションを受けたのだ。奇跡的に書類審査を通過して、一次オーディションに参加した硝だったが、会場についたと同時に、
「これはすごいところに来てしまった」
 と青ざめた。
 それがはじめてのオーディションだった硝は、まともな化粧道具すら持って行ってなかった。服装も多少見栄えのいいものを着ていたとはいえ普段着だったし、髪も出かける前にブラッシングした程度だった。
 けれどもほかの参加者は、海外旅行にいくかのような大きなスーツケース持参で、テーブルの上にはお店が開けるんじゃないかと思うほどの化粧道具と自分専用の鏡――中にはライト付の鏡を持ち込んでいる人もちらほら――を置き、もくもくと自前のアイロンで髪を整えている。といっても、自分で髪を整えているのは半数で、もう半数は付き添いの家族が、美容師よろしくヘアメイクをしている。
 服装も、さすがにステージ衣装のようなフリフリのものを着ている人はいなかったけど、ファッション雑誌の「街中でみつけたかわいい女の子」みたいなコーナーで紹介されるようなコーディネートでまとめている人がほとんどだった。
 呆然としている硝に、
「アンタ、まともな化粧道具持ってきてないの!?」
 と声をかけたのが、玖理子だった。
「あ、はい……」
 返事をしながら硝が振り向くと、そこには「これぞアイドル」という女の子が立っていた。ピンクとキラキラが目立つワンピースに、完璧なツインテールとがっちり固められた前髪。
「じゃ、これ使っていいわよ」
 と言いながら、玖理子はスーツケースの中から、少しくたびれた化粧道具を取り出して、硝の前に並べはじめた。
<まとめてスーツケースの中に放り込んでるなんて、見た目と違って意外とがさつなんだな>
 と思ったものの、口には出さずに、硝はありがたくその道具を借りて、オーディションに臨んだのだった。
 それをきっかけに、LINEのIDを交換し、あれこれと情報を交換するようになった。――ということは、二人ともそのオーディションには落ちたということでもあるのだけれど。
「それと気になるのがさぁ」
 イヤホンの向こうで、まだ玖理子はしゃべり続けている。硝は、イヤホンのコードについてるリモコンを操作して、音量を下げた。――玖理子の声が大きくて、作業に集中できない。
 やることが、山積みなのだ。
 まず、ユーストリームで毎日配信している番組『ペパミンのただいまバイト中!』のネタ出し。番組自体は日替わり担当している。

『ペパミンのただいまバイト中!』
月曜日 咲紀/かたアベレビュー
火曜日 硝/アイドル力をアップしよう
水曜日 杏菜/人生相談ぶった切り
木曜日 咲紀&杏菜/年長組の井戸端会議
金曜日 硝&咲紀/イマドキ女子を教えまShow
土曜日 硝&杏菜/ゆる~くオタ話
日曜日 全員/公開企画会議・反省会

 硝は、火曜日・金曜日・土曜日の担当だ。最初は、茶月が台本を用意するという話だったのだけれども、つい「こんな話はどう?」と口を出したがために、ネタ出しをまかされてしまったのだ。硝が用意するのは「どんな話題を出すか」で、それを茶月がきちんとした台本にブラッシュアップする――という分担ができあがってしまったのである。
 それから、ライブのセットリスト。「ペッパー&ミント」は、毎週末かたひらアベニュー内のイベントスペースで、ライブを行っている。ショッピングモール専属のアイドルなんで、集客に貢献しなければならないわけである。
 そのライブのセットリストづくりを、硝は任されていた。なにせアイドルについて一番知識があるのが、硝なのだ。ライブは一回三〇分。本編三曲にアンコールが一曲。オリジナルの曲があるわけじないから、ほかの人の曲を拝借することになる。
 古くはキャンディーズ、最近だとPerfumeにNegicco。大人数グループから派生したユニットも含めれば、三人組のアイドルは意外とある。そうした先輩たちの曲から、いくつかをチョイスして披露することになるのだが、それがなかなか難しい。有名な曲ばかりだと統一感がなくなるし、マイナーな曲ばっかりだと、見に来ているショッピングモールのお客さんが置いてけぼりになる。
 さらにペッパー&ミントには、一曲ごとにMC――トークコーナーを挟まなきゃいけない、という制約がある。メンバーのひとりが着ぐるみだから、連続して曲を披露するわけにはいかないのだ。となると、トークテーマと曲のつながりも気にしなくちゃいけない。
 もうひとつ考慮すなきゃいけないのが、振り付けだ。原曲の振り付けは、動画サイトをあされば出てくる。が、ダンスの未経験者が二名いるし――しかもその内ひとりは着ぐるみだし――アレンジが必要だ。それを考えるのも、硝の仕事になっていた。
 硝は、いくつもの曲名が書かれたレポート用紙に、またひとつ横線を引いた。
 いま考えているのは、今週末のライブのセットリストだ。いままでも数回、ライブを行っている。数曲レパートリーはできたのだが、毎回同じ曲というわけにもいかない。そこで新しい曲を追加するのだけど、練習時間も限られているので、どの曲を追加するのかというのは、簡単なようで難しいことなのである。
 候補曲を二曲に絞ったところで、
「……というわけで、今週末のオーディションは、本気出すから」
 と、電話の向こうで、玖理子が言った。それを聞いて、思わず硝もペンを止めた。
 今週末……!?
「あたしもハタチだし、これが最後のビッグチャンスだと思うの!」
 玖理子の言葉に、ようやく硝も思い出した。
 とあるオーディションに、硝はエントリーしていた。一ヶ月前、書類選考を通過したという通知が届いていたのは、覚えてる。が、そのあと「ペッパー&ミント」としての活動が忙しすぎて、一次オーディションが今度の土曜にあることを、すっかり忘れていたのだ。
 オーディションは、単にいけばいいってものでもない。服装や髪型は重要なポイントだし、自己アピールや披露する特技も検討しなくちゃいけない。受けるグループに合わせた、傾向と対策があるのだ。
 しかも今回は、課題が出ているので、それも仕上げなければいけない――。
「ちょっと、聞いてるの!?」
 玖理子の声が、硝にはどこか遠くの音に聞こえた。

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