Avenue.3-1

二番街 ルンバな昼はラベンダー
もしくは「硝のいちばん熱い夏」の巻

「すいませーん」
 フロアからの声に、硝はふり向いた。奥のテーブルで、チャラいにーちゃん二人組が、軽く手をひらひらさせている。
 ――なんか、イヤな予感がする。
 硝は眉をしかめたが、仕事なので無視するわけにもいかない。
 ここは「かたひらアベニュー」2階にある喫茶店ラ・フレイズ。硝は、週に3日、ここでバイトしているのだ。
「ご注文はお決まりですか?」
 伝票を手に取り、硝は聞いた。念のため、いつもより半歩、テーブルから離れて立っている。
 すると、チャラいにーちゃんのひとりが、
「おねーさんをテイクアウトで!」
 にやけた顔を硝に向けながら言った。
 ――やっぱり。
 硝は大きく息を吸うと、
「マネージャー!!」
 厨房に向かって叫んだ。すると、間髪をいれずに、店長の倉持が出てきた。学生時代アメフトをやっていたというゴツいガタイ、これみよがしのサングラス、そして極め付けがチャンピオンプレス――通称・パンチパーマ。どこからどう見ても、「本職」の人にしか見えない。
「お客さん、どうかしましたか?」
 低い声で、倉持が聞くと、
「あ、いや、その……」
 もごもご言いながら、二人組は顔を合わせた。軽い気持ちでナンパしただけなのに、予想外の展開になって戸惑っているらしい。
「お客さん?」
 もう一度倉持が声をかけたところで、にーちゃん二人組はテーブルの上に置いたスマホをつかみ、つんのめりそうになりながら、お店を飛び出した。
「……ありがとうございました、店長」
 ぴょんと、硝は頭を下げた。すると、
「ま、いつものことだからね」
 1オクターブ高くなった声で、倉持は答えて、サングラスを外した。
 硝がここでバイトをはじめて四ケ月。出勤するたびにこんな「事案」が発生しているので、すっかり「対応マニュアル」ができあがっていた。硝をはじめ、フロアの廃ったは普段、倉持のことを「店長」と呼んでいるのだが、「マネージャー」と呼んだら「そういう事案が発生した」という合図なのである。その合図が聞こえたら、倉持はサングラスを装備して、客席に出てくる――という手はずになっている。ちなみに、倉持が出て行っても引き下がらない客がいたときのために、厨房のところではいつでも一一〇番できるように、別のスタッフが電話の子機を握り締めて待機していたりもする。
 やがて、ざわついていた店内も静まり、ゆるくシャンソンの流れるいつもの雰囲気を取り戻すと、硝はグラスをトレーに乗せて、ダスターで軽くテーブルを拭いた。
 バイトをはじめた当初は、そんな「事案発生」も週に一回あるかないか程度だった。最初は怖いと思いつつも、「やっぱあたしって、かわいいのかも」なんてうれしく感じる余裕があった。なんせ、ここでバイトをしはじめた理由が、まさにそれだったからだ。しかし、「ペッパー&ミント」として活動しはじめてからは、ほぼ毎回こんなやりとりが続くにいたり、怖いとかうれしいとかよりも、「いろいろ迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの方が強くなってきていた。
「毎度毎度、大変ねぇ」
 硝がグラスを下げてくると、バイト仲間の木原菜津子が声をかけてきた。バイト仲間といっても、菜津子は、硝よりひと回り以上年上だ。この店のオープン当時からいるという大ベテランで、硝も菜津子から仕事を教えてもらった。
「ま、アイドルの宿命ってやつですかね」
 あはは…と笑いながら、硝は返事をした。これくらいどうってことないですよ――と装うとしたのだが、菜津子にはすっかりお見通しのようで、
「そこまでして、アイドルってなりたいものなの?」
 と聞いてきた。
「そりゃあ……」
 返事をしようとして、硝は言葉に詰まった。
 確かに「アイドルになりたい」と思ってきた。オーディションだっていくつも受けてるし、そもそもここでバイトしはじめたのだって、「あの喫茶店にかわいい娘がいる」とウワサになって、スカウトされたら……という思惑からだった。
 けど、改めて「なんでアイドルになりたいのか?」と聞かれると、返事に困ってしまう。
 いろいろ理由はある。単純に歌ったり踊ったりするのが好きというのもあるし、「ちやほやされたい」という気持ちがないといったら、ウソになる。でも――。
<なんであたし、アイドルになろうだなんて、思ったんだろう?>
 そのきっかけがさっぽり思い出せなくて、硝は菜津子にあいまいな笑顔を見せるばかりだった。

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