北風の季節(1)

1 俊夫・2004

 間違いなく、一目惚れなんだと思う。
 目の前にあらわれた瞬間から心を奪われ、いままでのポリシーもこだわりも、すべて吹き飛んでしまった。寝ても覚めても、頭からその姿が離れない。「運命の出会い」っていうのは、まさにこのことなんだろうと思う。
 実際にその出会いのあと、ボクの運命は大きく変わってしまった。それさえなければ、ボクはたぶん、違う人生を歩んでいただろう。少なくとも、運命の出会いを用意してくれた神様には感謝しなくちゃいけないかな、とは思う。それが多少、胸の痛みを伴うものだとしても、だ。
「わぁ、かわいい!」
 すっかり仕度を終えた凛が、コイツを見てそう言った。
 最愛の凛にほめられたことがすごくうれしくて、ボクは思わず頬がゆるんでしまう。
「コイツの良さがわかるなんて、凛ももう大人だな」
 そう言いながら、ボクは凛を抱き上げて、助手席へと座らせた。
「ひとりでできるのにぃー」
 凛はぷくーっと頬を膨らませたが、そんなことはお構いなしに、ボクは助手席のドアを、ゆつくりと閉めた。いくらコイツが軽自動車とはいえ、クーペスタイルのドアは凛がひとりで操作するには、まだ大きすぎる。
 凛はもうすぐ六歳。大事な大事な、ボクの娘だ。
「おーぷんかーって、屋根がないの?」
 普通のクルマなら屋根があるハズの場所を、凛は見上げた。
「そうだよ。だからオープンカーって言うんだ」
 ボクの言葉にも、凛はよくわかっていないようだった。
 運転席に座ると、まず助手席のシートベルト引き出して、ブランケットと一緒に締めた。外気に触れたまま走るオープンカーでは、ブランケットは欠かせない道具のひとつだ。もちろん、凛はジャンパーとマフラーと手袋と毛糸の帽子という重装備。
 凛の準備が終わったら、自分のシートベルトを締めて、エンジンをかける。ボクの方は、運転の邪魔になるからブランケットはなし。手袋は指先のない革のヤツ。あとはマフラーとベースボールキャップ。クルマの運転は、一種のスポーツだし、これくらいの装備で大丈夫。
 アクセルを軽くふかすと、車内に少々甲高いエンジン音がとどろいた。
「あー、うるさいー」
 両手で耳をふさぎながらも、凛の顔はどこか楽しそうだ。
 凛がカプチーノに乗るのは、初めてだった。凛が生まれてからすぐ、ミニバンを買って、このクルマは実家に預けて置いたのだから。
 カプチーノは軽自動車のオープンカーで、二人乗り。新しい家族ができた時点で、当然このクルマは処分されるべきものだった。でも、どうしてもボクは、このクルマを手放す気にはなれなかったんだ。だって、はじめて……そして唯一、一目惚れしたクルマだから。そして、このクルマには、洋子の思い出が詰まっているから。
 程よく暖気が済んだところで、暖房を全開にする。走り出す前は暑いくらいで、ちょうどいい。
「さて、どこにいこうか」
 凛に聞くと、
「んーとねー、たくさん走るところ」
 と、答えた。
「じゃあ、ぐるぐる回るところいこうか」
「わーい」
 ボクの言葉に、凛は手を叩いて喜んだ。
 その仕草に、洋子の姿がダブる。
 それは、完全に一目惚れだった。
 「運命の出会い」なんて信じるほどのロマンチストではなかったボクが。
 なんの疑いもなく。これこそ運命の出会いなんだと思った。

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