Avenue.1-3

 音楽が止まったきっちり三秒後、咲紀はレッスン場――という名の倉庫の床に、へたり込んだ。
「もうダメ……ひと休みしようよ」
 それを見た野上硝は、
「なに言ってるんですか。まだ三回しか合わせてないんですよ」
 とたしなめながら、三人の少し前にあるプレイヤーに手をのばそうとした。
「ちょっとちょっと、勘弁して!」
 そう言いながら咲紀は、部屋の隅にあるテーブルへ、ドリンクを取りにいくふりをして逃げ出した。
「……さきっちって、ホントおばあちゃんだよねぇー」
 からかうように言った硝の言葉を背中で聞きながら、
<三つしか違わないのに、おばあちゃん言うな!>
 と反論したかったが、息が切れてそれどころではない咲紀だった。
「まぁ、咲紀はこういうのに向いてないから」
 と、硝をなだめながら、伊丹杏菜も咲紀に続いて、ドリンクを取りに行く。――咲紀ほどではないにせよ、ひとつ年上の杏菜も、そろそろ休憩を入れたいと思っていたところだったのだ。
「……まったくもう」
 不満気な顔をして、硝はプレイヤーを手に取り、もう一度いまの曲を再生する準備を整えた。
 この三人がはじめて顔を合わせたのは一週間前のことだった。
 かたひらアベニューの三階と四階の売り場裏に、更衣室だの休憩室だの各店舗の倉庫だのがある。三人が呼び出されたのは、その倉庫の一室だった。空き店舗がある上に、経費削減で倉庫を使わなくなった店舗もあるので、いくつか倉庫用スペースが空いている。そのひとつが、今回の企画――「Iプロジェクト」のレッスン場兼更衣室兼会議室兼スタジオとして使われることになったのだ。
 誰も「Iプロジェクト」の意味を教えてくれないが、きっとアイドルのIって単純な意味なんだろうと、咲紀は思っていた。
 当初の予定では、六月にメンバーの募集をはじめ、書類選考ののち七月に公開オーディション、八月にメンバー决定など数回イベントをして、最後にCD発売をサプライズ発表して盛り上げる――という算段だったのだが、実施決定が遅れた上、予算半減になってしまい、大幅に計画を変更することになった。
 その結果、当初二十人規模で考えていたメンバーを三人に絞り、その三人はオーディションではなくかたひらアベニューでバイトしている女の子の中からピックアップする、ということになった。そして選ばれたのが、喫茶店「ラ・フレイズ」でバイトしている女子高生の野上硝、雑貨屋「d-light」でバイトしてた大学四回生の伊丹杏菜、そしてパン屋「クレセントムーン」で働いている川野咲紀の三名だったのである。
 予算削減にともない、スケジュールも変更になった。なるべく早く顔を出して、少しでも知名度と人気をあげ、新規出店組のゆるキャラと差をつけて、旧商店街組有利にすすめ、あわよくば新規出店組の予算をぶんどろう――というセコい作戦である。
 ということで、三人による「ご当地アイドル」のお披露目が、一ヶ月後に予定されていた。もともと公開オーディションをやる予定を、「お披露目会」に切り替えたのである。とはいえ、アイドルとしてお披露目するからには、それなりに歌って踊れなければならない。そこで、三人による猛特訓がはじまった、というわけである。
 問題は、誰がレッスンをするか、であった。ダンスを教えることができる人なら呼べないことはないけれども、それにしたって予算の壁がある。その点、硝はうってつけの人材だった。もともとアイドル志望だったらしく、歌やダンスが多少できたので、硝が完全未経験者の咲紀と杏菜を指導する、ということになったのだ。
 三人の中では一番年下の硝だったが、指導には遠慮がなかった。できないことはできるまでやるし、できていたところを手抜きすると、
「レッスンで手抜きするとクセになる!」
 とやり直しをした。
 が、無理強いはしないというさじ加減があった。
 そもそも咲紀は、断るつもりだったのに、
「お願いします! 一緒にやってください!!」
 と硝が懇願したとこで、しぶしぶながら引き受けてもらったという経緯があるからだ。
 なにもできずに恥をかくのも困るけど、大切なメンバーが欠けてしまうのは、もっと困る。それが、ちょうどいいブレーキとなっていたのである。
 ひと休みして、咲紀が立ち上がったのを見て、
「じゃあ、もう一回最初からいましょー!!」
 と、硝がプレイヤーに手を伸ばしたときだった。
 ゴンゴンとドアを叩く音がして、三人が返事をする間もなく、一人の女性が倉庫に入ってきた。
「あ、茶月さん、おはようございます!」
 硝が、声をかけた。――ちなみに、時刻は夕方六時である。
 その女性――久松茶月は、
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
 そう言うと、返事も聞かずに、パイプ椅子を広げて、自分だけ座った。
 茶月が、このプロジェクトのマネージャー兼ディレクター兼プロデューサー――ということになっていた。ケーブルテレビのレポーターとかをやってるフリーアナウンサーでもあり、かたひらアベニューの旧商店街組のひとりでもあるお茶屋さんの娘でもあることから、世話役に抜擢されたのである。
 咲紀や杏菜より、確実にひと回り以上年上だが、以前咲紀が年齢を尋ねたとき、
「アラサーなことは否定しないけど、四十路ではない」
 と言っていたので、きっと今年か来年には四十になるくらいだろうと、咲紀は予想していた。
「私達の番組が決まりましたぁ!」
 と言って、茶月はわざとらしく拍手をした。
「えー、すごーい!!」
 と喜んだのは、案の定硝だけで。
 咲紀と杏菜は、
「私達の……番組!?」
 と、顔を見合わせるばかりだった。

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